『黒執事』に登場するマダム・レッド――紅い髪、紅いドレス、そして女医という経歴。
彼女は単なるフィクションの狂気ではなく、ヴィクトリア朝後期という「転換期」が生んだリアルな矛盾を体現している。
本記事では、1880年代の女性医師の実態と、彼女たちが直面した過酷な現実を、史実とフィクションの境界から読み解く。
数字が示す「転換期」としての1880年代
統計が、この変化を如実に物語っている。
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年
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登録女性医師数
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| 1865年 | 2名 |
| 1881年 | 25名 |
| 1892年 | 135名 |
| 1911年 | 495名 |
つまり、1880年代は「女医が存在し始めたが、まだ異端だった時代」である。
制度上は認められても、社会的偏見、男性医師からの敵意、患者の不信は依然として強かった。
女医は歓迎された存在ではない。
耐え続けた者だけが生き残る、過酷な職業選択だった。
マダム・レッドという存在の「リアリティ」
『黒執事』のマダム・レッドが活躍する1880年代は、史実的にも「女性医師が辛うじて成立する時代」である。
彼女が医師であるという設定は、決して荒唐無稽ではない。
彼女が属するのは、「ブラックウェルが開いた道」ではなく、「ギャレットが血を流して切り開いた制度」である。
むしろ重要なのは、彼女が置かれていたであろう立場だ。
- 男性医師社会からの孤立
- 女性患者からの過剰な期待
- 「女医であること」自体への偏見
- 婦人科・産科に押し込められる専門領域
これらはすべて、彼女の内面に蓄積される怒り・歪み・孤独を説明する。
マダム・レッドは、「時代が生んだ異端」であり、「制度に許され、社会に拒まれた存在」だった。
血と命を扱う者の皮肉な運命
ヴィクトリア朝において、医師とは「命を救う聖職」であると同時に、「血と死に最も近い職業」でもあった。
女性がそこに立つことは、社会規範そのものへの挑戦だった。
マダム・レッドの描写は、単なる狂気ではない。
それは、救済を約束されながら、誰からも救われなかった者の末路なのだ。
史実の女医たち――エリザベス・ギャレット・アンダーソンの実像
ここで重要な問いが生じる。
実在のヴィクトリア朝女医たちは、マダム・レッドのように感情的で危険な存在だったのか?
答えは「否」である。
むしろ、真逆の評価が史実だ。
エリザベス・ギャレット・アンダーソン(1836-1917)
英国初の公認女性医師の一人である彼女は、生涯にわたり安定した臨床医として、主に婦人科・産科・貧困層医療を担当した。
患者からの信頼は厚く、診療所は成功を収めた。
医療事故や暴力的逸脱行為の記録は一切存在しない。
もし彼女が「感情不安定で危険な医師」であったなら、英国医師会(BMA)への入会(1873年)、女子医学校の医学部長就任、さらには公職(オールドバラの議員・町長職)は絶対に不可能だった。
「ヒステリックな女医」像はどこから来たのか
これは史実ではなく、当時の性差別的言説である。
ヴィクトリア朝の偏見において、「女性=感情的」「医学=理性・冷静さが必要」という図式から、「女性は医師に向かない」という論理が支配的だった。
実際、男性医師たちは女医を「神経質」「感情過多」「危険」と中傷し、医学誌や講演で科学的根拠のない人格攻撃を行っている。
これは能力評価ではなく、排除のためのレトリックである。
皮肉な事実:ヒステリーを作ったのは男性医師
「ヒステリー(hysteria)」は男性医師が女性患者に貼った診断名である。
情緒不安、反抗、悲嘆、怒り――すべて「子宮由来の病」とされた。
つまり、女性が感情を示す→病気→医療管理の対象、という構造があった。
「女医=ヒステリック」というイメージも、この延長線上にある。
マダム・レッドとの決定的な違い
『黒執事』のマダム・レッドは、フィクション、ゴシック的誇張、「医師であること」と「血への執着」を結びつけた象徴である。
一方、ギャレット・アンダーソンは、制度内で闘い続けた実務家であり、感情を抑制し続けなければ生き残れなかった存在であり、狂気を見せる余地すらなかった。
女医が狂えば、それは即排除を意味した時代である。
生き残った女医は、例外なく「過剰なまでに理性的」だった。
むしろ史実的にリアルなのは、こういう姿
史実に即すなら、ヴィクトリア朝女医は――
- 感情を表に出さない
- 冷静・禁欲的
- 過剰なまでに倫理を守る
- 私生活を犠牲にする
狂気よりも「自己抑圧」が特徴なのだ。
この点で、ギャレット・アンダーソンは典型例である。
まとめ――女医という「可能性」と「呪い」
ヴィクトリア朝後期、女医は確かに誕生した。
だがそれは、祝福された進歩ではなく、多くの女性が傷つき、孤立し、耐え抜いた末に得た「狭い通路」だった。
マダム・レッドが属するのは、ブラックウェル的「例外」ではなく、ギャレット以後の「制度に組み込まれた女医」である。
だからこそ――
- 合法だが歓迎されない
- 男性医師社会の中で孤立
- という立場が成立する
史実のヴィクトリア朝女医たちは、感情を爆発させる存在ではなかった。
むしろ、わずかな逸脱も許されない環境の中で、極端なまでに理性を求められた人々である。
マダム・レッドの狂気は、現実の女医像ではなく、当時の社会が女性医師に向けていた恐怖と偏見を、ゴシック的に可視化したものだと言える。
総括
- ギャレット・アンダーソンは危険な医師でも、狂気の人物でもない
- 「ヒステリックな女医」像は当時の男性中心医学が作った虚像
- マダム・レッドは史実の女医ではなく、社会の不安の象徴
――マダム・レッドは、その通路を歩いたかもしれない一人である。
そして彼女の悲劇は、史実の延長線上に、静かに、そして残酷に存在している。

マダム・レッドは医師という設定ですが。
当時の女性医師は茨の道の開拓者ですね。





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