マダム・レッドは「産科医」だったのか ― ヴィクトリア朝婦人科医療と「慎み」の文化 ―

マダム・レッドは「産科医」だったのか ― ヴィクトリア朝婦人科医療と「慎み」の文化 ― 話題

ヴィクトリア朝イギリスにおいて、「女性が医師である」という事実そのものが、まだ例外的で異端と見なされていた時代があった。
とりわけ産科や婦人科医療は、社会規範としての「慎み(Victorian Modesty)」に強く縛られ、女性たちは自身の身体について男性医師に語ることをためらっていた。
その沈黙の隙間にこそ、女医という存在への切実な需要が生まれていく。

19世紀後半、制度的な扉がわずかに開き始めたことで、限られた数ながら女性医師が実際の医療現場に立ち始めたのが1880年代である。
この時代は、シエル・ファントムハイヴの母が出産を経験した世代と重なり、またマダム・レッドが医師として活動していた時期とも符合する。

本記事では、当時の婦人科医療と堕胎をめぐる社会的認識を史実から整理しつつ、「マダム・レッド=産科医」説がいかに時代背景と接続し得るのかを検証する。
彼女の狂気や悲劇を単なるフィクションとして消費するのではなく、ヴィクトリア朝という現実の医療と女性の立場の中に位置づけ直すことが、本考察の目的である。

 ヴィクトリア朝における婦人科医療と「慎み」の文化

ヴィクトリア朝イギリスでは、女性の身体は強く私的領域に押し込められていた。
「慎み(Victorian Modesty)」と呼ばれる価値観のもと、性や出産、月経といった問題は公に語られるべきではないとされ、女性が男性医師に婦人科系の相談をすること自体が心理的・社会的障壁を伴っていた。

このため、女性たちは出産や身体の異変を我慢する、あるいは助産婦や非正規の医療従事者に頼らざるを得ない状況に置かれていた。
こうした背景が、19世紀後半における女医、特に産科・婦人科領域の女性医師への需要を高めていく。

 

「マダム・レッド=産科医」説は成立するのか

結論から

史実的にも作品設定的にも、非常に成立しやすい。

ヴィクトリア朝後期、女性医師が従事できた医療分野は極端に限定されており、
その中心が 産科・婦人科・貧困層医療でした。

 

診察のニーズと「慎み(Victorian Modesty)」

当時の社会では、
女性が自らの身体、とりわけ 生殖や性に関わる問題を公に語ることは強く忌避されていました。

  • 男性医師に月経・妊娠・流産・性被害を相談することへの抵抗
  • 診察時の身体接触に対する羞恥
  • 上流階級ほど「沈黙」が美徳とされる価値観

この Victorian Modesty(慎みの文化) により、

男性医師には話せないが、
医師の助けは必要とする女性たち

が多数存在していました。

その結果、
女医、とりわけ産科・婦人科を担う女医の需要が急速に高まったのです。

マダム・レッドが産科医だったと仮定することは、
社会的ニーズの点でも極めて自然です。

 

なぜ産科なのか

  • 男性医師が女性の身体に触れることへの忌避(Victorian Modesty)
  • 出産は「家庭内の出来事」と見なされていた
  • 産婆(midwife)と医師の境界が曖昧な過渡期

このため、女医は

  • 産科医
  • 産婆的医師
  • 婦人専門医

として活動することが最も社会的抵抗が少なかったのです。

エリザベス・ギャレット・アンダーソン自身も、主に産科・婦人科を担当しています。

つまり
マダム・レッドが産科医だったと仮定することは、史実と極めて整合的です。

 

産科医療の現場──出産は医療行為であり、同時に危険だった

現代とは異なり、19世紀の出産は「命がけの出来事」であった。
消毒概念が完全には普及しておらず、産褥熱や感染症による死亡率は高く、医師が介入することでかえって危険が増すケースも少なくなかった。

産科医療は長らく助産婦(midwife)が担ってきた分野であり、男性医師が本格的に介入し始めたのは19世紀以降である。
しかしその介入は必ずしも歓迎されたものではなく、特に上流・中産階級の女性にとって、男性医師による診察は精神的負担を伴った。

その隙間を埋める存在として、女性医師は「医学的知識を持つが、同じ女性である」という立場から、産科医療の現場に受け入れられていった。

 

当時の婦人科医療と「堕胎」をめぐる現実

ヴィクトリア朝の妊娠と出産の過酷さ

19世紀後半でも、

  • 産褥熱
  • 出血
  • 感染症

による出産死亡率は高く
出産は今よりもはるかに「命がけの行為」でした。

産科医とは、
生を迎える専門家であると同時に、死を看取る医師でもありました。

 

堕胎をめぐる19世紀イギリスの法と倫理

堕胎は「違法」だが「存在した」

重要なのはここです。

法制度

  • 1803年・1828年・1861年の刑法により
    • 堕胎は重罪
    • 施術者も女性本人も処罰対象

ヴィクトリア朝において、堕胎は強く忌避される行為であった。
1803年の「エレンボロー法(Lord Ellenborough’s Act)」以降、堕胎は重罪とされ、1861年の「対人犯罪法(Offences Against the Person Act)」によって、胎児の状態にかかわらず違法性が明確化されている。

しかし現実には

しかし、法的禁止と現実の乖離は大きかった。
望まれない妊娠や母体の健康問題から、非公式かつ危険な堕胎が水面下で行われていたことは、多くの史料が示している。

  • 避妊手段が乏しい
  • 多産による衰弱
  • 社会的破滅の回避
    (性的暴力・経済破綻)

堕胎は地下で行われ続けていました。

 

女医という存在が担った役割と限界

医師、特に女性医師は、この領域において極めて困難な立場に置かれていた。
法を守れば患者を救えず、患者を救えば犯罪に加担する可能性がある。
産科医療と堕胎は、医学・倫理・法が激しく衝突する領域だったのである。

 

医師・産婆・女医の板挟み

ここが、マダム・レッド考察の核心です。

  • 男性医師:
    → 表向き拒否、裏で黙認・紹介
  • 産婆:
    → 実務を担うが法的に弱い
  • 女医:
    → 「命を救う立場」と「違法行為」の狭間

女医、とくに産科医は次の矛盾に直面します。

    • 命を救いたい
    • しかし手を出せば犯罪
    • 見殺しにすれば医師としての良心が傷つく

女医はしばしば、

  • 「救命のために何もしない」
  • 「何かすれば犯罪」

という 倫理的ジレンマ に置かれました。

男性医師は距離を取れたこの問題に、
女医は最前線で向き合わされました。

マダム・レッドの物語は、
この史実的ジレンマを極端な形で可視化したものと読めます。

 

シエルの母世代と1880年代女医の交点

シエルの母・レイチェル世代とは

  • 母レイチェルの出産:1870年代半ば
  • マダム・レッドが医師として従事していたのが1880年代

まさに女医が制度的に成立し始めた時代です。

 

「マダム・レッド=産科医」説の史実的妥当性

マダム・レッドの医師像は「1880年代の女医」と整合するか

『黒執事』において、マダム・レッド(アンジェリーナ・ダレス)は「女医」として描かれているが、その専門分野は明示されていない。
しかし、彼女の言動や事件の性質を史実と照合すると、「産科・婦人科に関わる医師」であった可能性は高い。

まず時代設定を確認すると、マダム・レッドが医師として活動していたのは1880年代である。
この時期は、ロンドン女子医学校の卒業生が実際に医療現場へ進出し始めた時代と重なる。
女性医師が社会的に“完全に受容されていた”わけではないが、産科や婦人科といった分野に限れば、現実的な職業選択肢として成立していた。

この点で、マダム・レッドの医師設定は、史実上の女性医師像と矛盾しない。

 

1880年代という時代の意味

1880年代は、

  • 女医が制度的に認められ始めたが
  • まだ社会的には異端だった時代

この時代に産科医として活動する女医は、

  • すでに起きた悲劇(過去の出産)
  • 今まさに起きている悲劇(現在の妊娠・流産)

その 両方を知る立場 にありました。

1880年代に活動していた女性医師たちは、社会改革者でも革命家でもなかった。
多くは制度の内側で、慎重に、しかし確実に女性の医療アクセスを拡張しようとした実務者である。

 

上流階級女性と女医の関係

産科・婦人科こそが女医の「現実的な居場所」だった

  •  男性医師には話せない内容
    • 流産
    • 月経異常
    • 性的被害
  • 家名を守るための「沈黙」

上流階級ほど、
女医の存在は「都合の良い秘密保持者」でした。

彼女たちは、女性患者が「語ることを許されなかった身体の問題」を聞き取り、命を守るための選択肢を模索した。
その一方で、法と社会規範の壁に阻まれ、救えなかった命や、救うことを選べなかった現実も存在した。

この緊張関係の中にこそ、19世紀末の女医という存在の光と影がある。

 

史実とフィクションの接点としてのマダム・レッド

ここで生まれる物語的接点

女医は

  • 女性の「最も脆い瞬間」を知る
  • 家系の闇を知る

しかし

  • 決して語れない
  • 感謝されても表に出ない

マダム・レッドは、

  • 母を失った過去の象徴
  • 母になれなかった女性たちの現在

その両方を背負う存在として描けます。

マダム・レッドが「血縁」と「母性」にまつわる理由は、
この立場から説明できます。

 

「医師である女性」が抱えた怒りと歪み

重要なのは、次の点です。

  • 史実の女医は狂わなかった
  • しかし
    狂気に至っても不思議ではない構造の中にいた
  • 女医は、
    • 女性の最も弱い瞬間を知る
    • 家族の秘密を知る
    • だが語れない
  • 女医は、その沈黙を破れる唯一の存在であり、
    同時に、その沈黙を背負わされた存在
  • マダム・レッドは、史実の女医ではなく、
    ヴィクトリア朝社会が女医に押し付けた矛盾と沈黙を、
    血と狂気で可視化した存在

重要なのは、史実の女性医師たちが暴力的であったという事実は存在しない、という点である。
エリザベス・ギャレット・アンダーソンをはじめとする実在の女医たちは、極めて理性的かつ制度順応的に行動していた。

しかし同時に、彼女たちが直面していた現実は、精神的負荷の大きいものだった。
救えない妊婦、違法ゆえに手を出せない症例、社会的に発言権を持たない立場。
マダム・レッドは、その抑圧と怒りを“物語的に増幅された存在”として描かれていると考えられる。

つまり彼女は、「女医が狂気に陥った例」ではなく、女医が置かれていた構造的矛盾を可視化するためのフィクション上の象徴なのである。

 

まとめ

女医は「慎み」の裏側で、命を迎え続けた

  • ヴィクトリア朝後期、
    女医は主に産科という「生と死の境界」に立たされました。
  • Victorian Modesty の文化は、
    女性を守ると同時に、女性を孤立させました。

19世紀後半のイギリスにおいて、女性医師が従事しやすかった分野は明確に偏っていた。
外科や一般内科は依然として男性中心であり、解剖や外科手術は「女性にふさわしくない」と見なされていた。
一方で、産科・婦人科は例外的に女性医師の進出が許容されやすい領域だった。

その理由の一つが、「Victorian Modesty(慎み)」である。
多くの女性が、妊娠・出産・流産・月経といった問題を男性医師に語ることを躊躇し、同じ女性である女医を強く求めた。
女医は単なる代替ではなく、社会的要請によって生まれた存在だったのである。

マダム・レッドが診察していたのが、主に女性患者であったこと、また出産や生殖に関わるテーマが彼女の動機と深く結びついている点は、この史実と自然に接続する。

 

堕胎・流産・死産──女医が直面した「救えない現実」

  • 出産
  • 流産
  • 堕胎
  • 母体の死

それらすべてを知りながら、
語ることを許されなかった存在。

マダム・レッドの狂気は、
史実の否定ではなく、
史実が内包していた歪みの寓話です。

マダム・レッドの物語を特徴づけるのは、「命を救う医師」でありながら、妊娠や出産をめぐる悲劇を繰り返し目撃してきた点にある。
これは、1880年代の産科医療の現実と強く重なる。

当時、堕胎は明確に違法であり、医師が関与することは犯罪とみなされた。
しかし同時に、望まれない妊娠、母体の危険、貧困といった理由から、非公式で危険な処置が後を絶たなかった。
女医はしばしば、法・倫理・患者の命の狭間に立たされる存在だったのである。

マダム・レッドの行動原理を、単なる狂気や個人的復讐として読むのではなく、「救えなかった命の累積」として捉えると、彼女は史実上の産科医が背負った矛盾を極端な形で体現した存在と解釈できる。

 

小結:マダム・レッドは「あり得た医師像」だったのか

史実に照らす限り、

  • 1880年代に活動する女性医師
  • 産科・婦人科に関わる可能性
  • 出産・流産・堕胎をめぐる倫理的葛藤

これらはいずれも、当時の現実と矛盾しない。

マダム・レッドは史実の医師そのものではないが、史実の上に立脚した「歪んだリアリズム」として描かれた存在である。
彼女の悲劇性は、ヴィクトリア朝医療の闇と、女性が医師であることの過酷さを映し出す鏡だったと言えるだろう。

 

azuki
azuki

人間には過酷すぎる職業って、ありますね。

 

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