掌編『最初の一滴』― 創作論

Poetic Prose

創作とは何か――この問いに、明快な答えを持つ者は少ない。

ある者は「表現すること」と言い、ある者は「伝えること」と答える。

だが、紙の上でペンを握り締め、最初の一文字を書き出す直前の、あの緊張と静寂を知る者なら誰もが感じているはずだ。
創作とは、むしろ沈黙との対峙であり、語れぬものを置いてゆきながら進む行為なのだと。

本稿は、インクが紙に触れる一瞬という極小の時間を通して、創作の根源的な意味を問い直す試みである。

それは技術論でも表現論でもない。
書くという営みが持つ、祈りに似た本質について考える、一つの思索である。

 

掌編『最初の一滴』

静まりかえった机の上。
窓の外では、まだ朝が言葉を探している。

紙の上に、万年筆の影がのびる。
ためらいが、わずかな呼吸となって震える。

──ぽたり。

インクが一滴、落ちた。
それは黒ではなく、心臓の鼓動の色だった。

世界の沈黙が破られる。
そして最初の文字が、生まれる。

 

掌編『最初の一滴 ― 創作論』

紙の上に落ちたインクの一滴は、
ただの黒い染みではない。
それは、沈黙と意志が衝突した場所だ。

書くとは、語ることではない。
語るべきを選び、語れぬものを置いたまま進むことだ。

言葉は、心を写す鏡ではなく、
心が自らを見失うための迷路かもしれない。

それでも人は書く。
世界の雑音に抵抗するために、
あるいは、自分という名の沈黙を証明するために。

インクが一滴、紙に触れた瞬間、
作者は神ではなく、ただの人間に戻る。

その一滴こそが、
「創造」という名の祈りの始まりなのだ。

 

解説 ― 沈黙と創造のあいだで

この作品は、創作という行為を祈りとして捉えている。
それは宗教的な意味でも、哲学的な意味でもある。

 

創作とは「意味を作ること」ではない

多くの創作論は「何を伝えるか」「どう表現するか」に焦点を当てる。
だが、本作が問うのはその手前にあるもの――書く前の沈黙言葉にならないものとの格闘である。

インクが紙に触れる瞬間、作者は自らの限界と向き合う。

完璧な表現など存在しない。
どれほど言葉を尽くしても、伝えきれぬものが残る。
それでも書く。

その矛盾こそが、創作の本質なのだ。

 

言葉は迷路である

「言葉は心を写す鏡ではなく、心が自らを見失うための迷路かもしれない」という一節は、言語表現の限界と可能性を同時に示している。

言葉は真実を映すツールでありながら、同時に真実を覆い隠す装置でもある。

書けば書くほど、自分が何を言いたかったのかわからなくなる――そんな経験を持つ書き手は多いだろう。

だが、その迷いの中にこそ、言葉の生命が宿る。

 

作者は神ではなく、人間に戻る

創作者はしばしば「世界を創る神」のように語られる。
だが、実際にペンを持つ瞬間、作者は全能ではない。
むしろ、自らの無力さと対峙するただの人間に戻るのだ。

その謙虚さが、創作を祈りに変える。
完璧を求めず、ただ誠実に言葉と向き合うこと。
それが「最初の一滴」の意味である。

 

あとがき

この掌編は、一枚の絵――インクが紙に落ちる瞬間――から生まれた。

視覚的なイメージを言葉に置き換える過程で、私が最も意識したのは「余白」である。
書かれた言葉だけでなく、書かれなかった沈黙、ためらい、呼吸。
それらをどう作品に織り込むか。

創作とは、結局のところ「何を書くか」ではなく「何を書かないか」の選択なのかもしれない。
そして、その選択の一つひとつが、作者の誠実さを問うている。

読者の皆さんにとって、この作品が「書くこと」について考える小さなきっかけになれば幸いである。

そして、あなたの中にも「最初の一滴」が静かに落ちることを願って。

―― 静寂と言葉の創作論シリーズより

 

azuki
azuki

緊張の瞬間です。

 

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