メソポタミア神話の女神ニンガルとニッカル:混乱しやすいポイントを整理する

メソポタミア神話の女神ニンガルとニッカル:混乱しやすいポイントを整理する 創作・エッセイ

古代オリエントの神話を学んでいると、似た名前の神々が複数の文化圏に登場し、混乱することがあります。
特に月神の妻として知られるニンガルニッカルは、同じ神なのか別の神なのか、判断に迷う代表例です。

この記事では、この2つの女神の関係を中心に、メソポタミア神話とウガリット神話の違いや、神々がどのように変容していったのかを整理していきます。

 

混乱しやすい3つのポイント

古代オリエントの神話を理解する上で、特に混乱しやすいのは以下の3点です。

  • ニンガルとニッカルは別神なのか?
  • メソポタミア神話とウガリット神話は同じ系統なのか?
  • どこで何が変化したのか?

順を追って見ていきましょう。

 

ニンガルとニッカルの関係

ニンガル(Ningal)

ニンガルはシュメールの女神です。
その名前は「偉大なる貴婦人」を意味します。
※gal(偉大なる)-nin(貴婦人)

  • 言語:シュメール語(Nin-gal)
  • 配偶神:月神ナンナ(アッカド語名:シン)
  • 関係神:イナンナ(イシュタル)の母である
  • 信仰中心地:ウル
  • 神格:月・王権・母性の女神

ニンガルはもともと純粋にシュメール文化圏の女神でした。

 

ニッカル(Nikkal)

ニッカルはニンガルのアッカド語形です。
西方に伝播するにつれて、その性格も変化していきました。

  • 言語:アッカド語
  • ウガリット神話・カナン神話での配偶神:月神ヤリフ(Yarikh)
  • 神格:果樹園・豊穣の女神的側面が強調される
  • 文化遺産:「ニッカル讃歌」(世界最古級の楽譜の一つ)

ニッカルはニンガルが西方へ伝播して変化した姿と考えられます。

 

結論:同一神格の地域変容

シュメール:ニンガル(原型)
    ↓
アッカド語化
    ↓
ニッカル
    ↓
西方セム文化に適応
    ↓
ウガリットのニッカル

ニンガルとニッカルは同一神格の地域変容バージョンと考えるのが最も整理しやすい理解です。

 

メソポタミア神話とは何か?

時系列で見るメソポタミア神話

「メソポタミア神話」は、実は複数の文化層が積み重なったものです。

  1. シュメール神話(最古層,  𒆠𒂗𒂠 Ki-en-ĝir, c.5,500-c.2,000B.C.)
    楔形文字で粘土板に書かれた、世界最古の神話とされる。
    紀元前3000年紀(初期王朝時代)に神話が成熟しました。

    『ギルガメシュ叙事詩』は前2600年頃の王がモデル。
    孤立した言語を話すシュメール人は、前2004年にウル第3王朝が滅亡し、セム人勢力の中に埋没していき、シュメール人はアッカド語を使う生活の中に組み込まれていく。
    シュメール語は死語化するが、古代メソポタミア社会において宗教語、学者語として長く受け継がれ、ヨーロッパにおけるラテン語やインドにおけるサンスクリット語に類似した地位を与えられた。
  2. アッカド神話(概ね紀元前24世紀〜)
    東方セム語派のアッカド人は後にアッシリア人、バビロニア人として知られるようになる。
  3. バビロニア・アッシリア神話(紀元前18世紀頃に成立)
    言語の違いだけであり、内容にほとんど差はない。
    バビロニア王ハンムラビがアッシリアを制圧した前18世紀後半に成立した。

これらをまとめて「メソポタミア神話」と呼びます。
あるいは古代オリエント神話とも呼ばれている。
※「オリエント神話」にはカナン神話の系統(ウガリット神話、フェニキア神話)や、ヒッタイト神話、エジプト神話なども含む場合がある。

バビロニア(古代メソポタミア南部)とフルリ人(主に北メソポタミアからアナトリア東部に居住)は、政治的・軍事的に敵対しつつも、文化・宗教面で深い交流と影響を与え合った関係にありました。
紀元前17世紀にはバビロニア系のアムル人が南部メソポタミアに勢力を築いた。
古バビロニアの時代、シュメール語とアッカド語は宗教的な目的で保存された。

 

継承される神々

メソポタミアの特徴は、文化が変わっても神々はかなり継承されるという点です。
多くの神が名前を変えながら受け継がれました。

シュメール語→アッカド語

  • イナンナ「天の女主人, nin(女主人/貴婦人)-an(天)-ak」 → イシュタル
  • ナンナ → シン
  • ニンガル → ニッカル

 

ウガリット神話とは?

地中海沿岸の神話世界

ウガリット神話は、現在のシリア沿岸部に栄えた文化の神話体系です。

  • 地域:現在のシリア沿岸
  • 文化:セム系
  • 特徴:旧約聖書世界と近い神話圏

主な神々

  • エル(il [’ilu], 最高神)
  • バアル(𐎁𐎓𐎍 b‘l, 嵐の神)
  • アシラト(aṯrt [’āṯiratu], 海の女神)
  • ヤリフ(月神)
  • ニッカル(月神の妻)

 

メソポタミアとウガリットの関係

ここが理解の鍵となる部分です。

  • メソポタミア神話 = 内陸の二河文明(チグリス・ユーフラテス川流域)
  • ウガリット神話 = 地中海沿岸のカナン文化

カナン神話は、紀元前1500〜1200年頃の古代シリア・パレスチナ(カナン地域)のウガリット文明で信仰された、最高神イル(El、エール)や豊穣の嵐神バアル(𐎁𐎓𐎍 b‘l)を主軸とする多神教の神話です。
乾燥地帯での雨と豊穣を願う「バアル(嵐、雷雨、豊穣の神)の死と再生」の物語(バアルサイクル)が中心であり、旧約聖書に登場する異教の神々や偶像崇拝の背景として知られています。
「エル“El” 」という語がカナン人の最高神だけでなく、セム語において「神」を意味する一般名詞でもあります。
ウガリット神話とも呼ばれる: 1928年にシリアの農夫の鋤の先からウガリット遺跡(ラス・シャムラ)が発掘され、その粘土板(ウガリット文書)によって内容が明らかになりました。

 

 青銅器時代の交易ネットワーク

両者は別の文化圏ですが、青銅器時代には広範な交易ネットワークが発達していました。

  • メソポタミア
  • シリア
  • アナトリア
  • エジプト

これらの地域は文化的に強く結びついていたのです。

 

神々の「輸入」と変容

このような交流の中で、神々は以下のプロセスを経て伝播しました。

  • 神々が「輸入」される
  • 名前が現地語に合わせて変わる
  • 性格がローカライズされる

ニンガル → ニッカルはその典型例です。

 

フルリ・ヒッタイトとの関係

フルリ人は、メソポタミアの神々を積極的に取り入れた民族です。
紀元前1200年までにアッカドの神を彼らのパンテオンに取り込んだ。

取り入れられた主な神々:
フルリの神 / アッカドの神

  • アヌ(Anu):アッカド語(𒀭𒀀𒉡 ANU)、メソポタミア神話の最高神𒀭 An、シュメール語の 𒀭(ān)「空」「天国」
  • シャウシュカ(Shaushka):イシュタル
  • ニッカル

 

ニッカル讃歌

特に有名なのが「ニッカル讃歌」です。

  • 年代:紀元前1400年頃
  • 言語:フルリ語
  • 出土地:ウガリット
  • 重要性:世界最古級の楽譜

この讃歌は、メソポタミア神学とフルリ音楽文化の融合物として貴重な文化遺産となっています。

比較

ウガリット神話の概要
  • 場所と時代: 前15世紀に築いたという現在のシリアの地中海岸にあった都市国家、前1,200年ごろ、「海の民」の侵攻を受けて滅亡。
    前14世紀、東地中海交易で繁栄。
  • 特徴: 特に重要視されているのは、英雄神バアルが海神ヤムや死の神モト(Mot, Ugaritic: 𐎎𐎚)と闘う死と再生を描いた物語が中心で、豊穣や季節のサイクルを表す。
  • 文化的影響: 旧約聖書など西セム系神話と共通点が多い。
フルリ神話の概要
  • 特徴: ヒッタイト神話の基礎となった神々(テシュブ/Teshub/dIM,フルリ系神話の主神,嵐神,天候神,ギリシャ神話のゼウスの元 など)が登場する。
    フルリとヒッタイト:フルリは前1200年迄にアッカドの神々を取込む。
  • 重要性: 「史上最古の歌」とされる『ニッカルへの賛歌』を含む、フルリ語の粘土板(フルリの歌)が出土している。
両者の関係性
ウガリットは国際的な交易都市であったため、ウガリットの遺跡からは、ウガリット語の文書だけでなく、フルリ語、アッカド語で書かれた神話や歌も発見されています。
そのため、ウガリット神話とフルリ神話は互いに影響を与え合ったと考えられています。

 

なぜ混乱するのか?

混乱の原因は以下の4点にまとめられます。

  • 名前が変わる(シュメール語→アッカド語)
  • 配偶神が変わる(ナンナ→ヤリフ)
  • 機能が追加される(月神の妻→果樹園の女神)
  • 地理が変わる(内陸→地中海沿岸)

しかし、本質は変わっていません

 

保たれる核心

表面的な変化はあっても、その核心は一貫しています。

 月神の妻である偉大なる女神

この本質が、地域や時代を超えて保たれているのです。

 

まとめ:ニンガル/ニッカルの変遷

最後に、この女神の変遷を時系列でまとめます。

文化圏 神名 配偶神
シュメール Ningal(𒀭𒊩𒌆𒃲 dnin-gal) Nanna (𒀭𒋀𒆠 dŠEŠ.KI)
・𒋀(ŠEŠ「兄弟」)+ 𒆠(KI 「場所・土地」、彼の聖都であるウル(Ur/𒋀𒀕𒆠 / Urim)を指し、「ウルの主」であることを示す
・nannārum(アッカド語) : light of the sky, moon
アッカド ニッカル(ng– が –kk–に簡略化されて発音、𒀭𒎏𒃲 ᵈNIN.GAL と綴られる)
Sin (/ˈsiːn/) or Suen
(Akkadian: 𒀭𒂗𒍪, dEN.ZU)
・EN (𒂗):主(Lord)
・ZU (𒍪):知恵・知識(Wisdom / To know)
ウガリット ニッカル(𐎐𐎋𐎍 nkl)
ニッカルとイブ(𐎐𐎋𐎍 𐎘𐎛𐎁 nkl wˀib)
“ib” は「花(果実)」
Yarikh (Ugaritic: 𐎊𐎗𐎃, YRḪ, “moon”) or Yaraḫum
フルリ ニッカル(讃歌)

※アッカド語のテキストでも、文字自体はシュメール語と同じ記号が使われるのが一般的です。
限定符 (𒀭): シュメール語で神であることを示す決定詞(ディンギル[tiŋiɾ])で、発音はされません。
羅:DDIĜIR)、翻字、deus の略。
月神の表記
dEN.ZU(エン・ズ),「知恵の主(Lord of Wisdom)」:転訛して「スエン(Suen)」→「シン(Sin)」

古代オリエントの神話は、文化の交流と融合の中で豊かに発展しました。
ニンガルとニッカルの関係を理解することは、この複雑で魅力的な神話世界を読み解く入口となるでしょう。

 

azuki
azuki

 

錯綜してます。

 

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