「フィニアン」とは何か?
アイルランドの伝説的戦士団、19世紀の革命家、そして神話の英雄フィン・マックール。
この一つの言葉に込められた豊かな歴史と文化を、わかりやすく解説します。
「フィニアン」(Fenian / Finian)は、アイルランドの歴史・神話・文化において極めて重要な意味を持つ言葉です。
古代ケルトの伝説から近代の政治運動まで、その用法は多岐にわたります。
革命家としてのフェニアン(Fenian)
19世紀アイルランド独立運動の中心勢力
フェニアンとは、1800年代半ばにアイルランドとアメリカで台頭した、武装闘争による独立を目指す革命家たちの総称です。
イギリス支配からの解放と共和制国家の樹立という明確なビジョンを掲げ、当時のアイルランド人に大きな影響を与えました。
二つの組織の誕生
1858年3月、アイルランド本土で秘密結社「アイルランド共和主義同盟」(Irish Republican Brotherhood, IRB)が設立されます。
その翌年1859年4月には、アメリカで「フィニアン同盟」(Fenian Brotherhood)が結成されました。
名付け親はゲール語研究者でもあったジョン・オマホニー。
彼は古代アイルランド神話に登場する勇猛な戦士集団「フィアナ」から着想を得て、この名称を採用しました。
神話と現実をつなぐこの命名は、アイルランド人のナショナリズムを強く刺激することになります。
武装闘争の道のり
フェニアンたちは「イギリスの危機こそアイルランドの好機」という信念のもと、機を見て行動しました。
1867年には大規模な武装蜂起を企図しますが、計画は露見し失敗に終わります。
アメリカのフィニアン同盟はそこで事実上機能を停止し、その後継として「統一同盟」(クラン・ナ・ゲール/Clan na Gael)が新たに組織されました。
後世への影響
「フェニアン」という呼称は20世紀初頭まで広く使われ続けます。
IRBは水面下で活動を継続し、1913年のアイルランド義勇軍創設、1916年の有名なイースター蜂起(武装蜂起)、そして1919年から1921年の独立戦争において、重要な役割を果たしました。
現代のアイルランド共和軍(IRA)も、この系譜を引き継いでいます。
神話の世界:フィニアンサイクル(an Fhiannaíocht/Fenian Cycle)
アイルランド神話における立ち位置
アイルランド神話は四つの物語群で構成されています。
神話物語群に始まり、アルスター物語群、フィニアンサイクル(フィン物語群)、そして歴史物語群へと続きます。
フィニアンサイクルは時系列で三番目に位置し、紀元3世紀頃の上王コルマク・マク・アルトの統治時代を舞台としています。
英雄フィン・マックール(Fionn mac Cumhaill/Finn mac Cool)の物語
誕生と成長
主人公の本名はデムナ(Demne)。
金色に輝く髪と白い肌から、「フィン」(Fionn/Finn, 輝く者、色白の意)という名で呼ばれるようになりました。
知恵の獲得:鮭の伝説
フィンの人生を決定づけたのが、「知恵の鮭」をめぐるエピソードです。
フィンは詩人フィネガス(Finnegas/Finegas)のもとで修行していました。
フィネガスは長年、「知恵の鮭」(サーモン・オブ・ノレッジ、別名フィンタン、Fionntán/Fintan/An Bradán Feasa)を探し求めていました。
この魚を食べた者は世界のあらゆる知識を授かるとされていたのです。
ついに鮭を捕獲したフィネガスは、弟子である若きデムナに調理を任せます。
ところが調理中、鮭の脂が跳ねて少年の親指に火傷を負わせます。
デムナは痛みに耐えかねて、とっさに親指を口に含みました。
この瞬間、鮭の持つ知恵が彼の体内に流れ込んだのです。
少年の目の輝きを見て事態を悟ったフィネガスは、これが運命であると理解し、鮭を弟子に食べさせました。
親指をしゃぶる能力: その後、フィンは困難に直面した時や知恵が必要な時に「親指をしゃぶる」(または親指を噛む)ことで、知恵や予知能力を得られるようになりました。
つまり、フィンは鮭を完全に食べたわけですが、最初に知恵が入ったのは調理中の火傷がきっかけだったという点が、この伝説の興味深いところです。
フィアナ騎士団の活躍
フィンが率いる伝説の戦士集団がフィアナ騎士団(the Fianna)です。
彼の息子オイシン(Oisín「仔鹿」の意, オシアン)は吟遊詩人として名を馳せ、他にもカイルテ・マク・ローナーンやディアルミド・ウア・ドゥヴネといった個性的な騎士たちが登場します。
物語の魅力と特徴
フィニアンサイクルの最大の特徴は、神々と人間の世界が徐々に分離していく過渡期を描いている点です。
神々の力は衰え、人間たちは妖精や超自然的存在との出会いを通じて、消えゆく魔法の時代を体験します。
この物語群には、英雄たちの苦悩、妖精との儚い恋、避けられない運命といった人間的な感情が豊かに織り込まれています。
こうした「人間らしさ」こそが、ケルト神話独特の叙情性と深みを生み出しています。
文学的遺産
8世紀頃から、フィン物語は文字として書き留められ始めました。
ただし重要なのは、これらの物語は:
- 当時の宮廷詩人(フィリ)たちの正式なレパートリーには含まれていなかった
fili or filè(単数形)、filid(複数形)または filidh or filès(複数形) - むしろ民衆の間で口承伝承として広まっていた
- 吟遊詩人や語り部が、庶民や一般の人々に向けて語り聞かせていた
つまり、「誰が誰に語ったか」で言えば:
- 語り手: 吟遊詩人、語り部(正式な宮廷詩人ではない民間の語り部)
- 聞き手: 一般民衆、庶民
貴族階級の正式な文学としてではなく、民間伝承として受け継がれていったという点が、フィン物語の特徴的なところです。
12世紀のノルマン侵攻は、アイルランド文学に新たな息吹をもたらします。
この時期に成立した『古老たちの語らい』という傑作により、フィンの人気は英雄クーフーリンをも凌ぐほどになりました。
さらに18世紀後半、スコットランドの詩人ジェイムズ・マクファーソンが『フィンガル 古代叙事詩 “Fingal: An Ancient Epic Poem (1761)”』として再構成したことで、フィン伝説はヨーロッパ全土に広がり、ロマン主義文学に多大な影響を与えました。
名前としてのフィニアン
ゲール語「Fionnán」を語源とするこの名前は、「色白の小さな者」「勇敢な人」といった意味を持ちます。
6世紀に活躍した聖フィニアンという修道士に由来し、宗教的・歴史的な重みを帯びています。
現代でもアイルランド系の男性名として使われています。
聖フィニアン:アイルランド修道制の父
6世紀にアイルランドで活躍した「聖フィニアン(Saint Finian/Finnian)」と呼ばれる修道士には、主に2人の異なる人物がいます。
どちらも初期アイルランド教会の発展に重要な役割を果たしました。
聖フィニアン・オブ・クロナード(Saint Finnian of Clonard, b. 470–d. 549)
「アイルランドの聖者の教師」として最もよく知られている人物です。
カトリック教会の聖人として崇敬されています。
主な功績
- 修道院学校の設立:ミース県クロナードに有名な修道院学校を設立しました。
この学校は一時期3000人もの修道士を擁し、アイルランド全土から多くの学生を集める当時最大級のキリスト教教育の中心地となりました。 - 「アイルランドの十二使徒」の育成:彼の教え子たちの中には、後に「アイルランドの十二使徒」と呼ばれる重要な聖職者たちが含まれており、彼らを通じてアイルランド全土に修道院制度とキリスト教信仰が広まりました。
- 学問と文化の保存:ゲルマン民族の侵攻によりヨーロッパ大陸が混乱していた時代、クロナード修道院はラテン語の文献や写本を受け入れ、継承・保存する重要な拠点となりました。
この活動は後のカロリング朝ルネサンスにも影響を与えました。
聖フィニアン・オブ・モヴィル(Saint Finnian of Moville, c. 495-d. 589)
ダウン県モヴィルに関連する聖フィニアンです。
カトリック教会の聖人として認められています。
主な功績
- 国際的な修行と修道院設立:イタリアやブリテン島での修行を経て、モヴィルに修道院を設立しました。
- 「写本の戦い」:聖コルンバ(コルンバヌスとは別人)が彼の持つ詩篇の写本を無断で筆写したことが原因で、アイルランド史上初の著作権争いとも言える「写本の戦い(Battle of the Book)」が起こりました。
この争いは最終的に裁判にかけられ、「写本を作った者には写本が属する」という判決が下され、聖コルンバが国外追放となるきっかけの一つとなりました。
歴史的意義
一般に「聖フィニアン」とだけ言及する場合、聖フィニアン・オブ・クロナードを指すことが多く、彼はアイルランドの修道院文化の礎を築いた中心人物の一人と見なされています。
彼の功績により、アイルランドは「聖者と学者の島」として、中世ヨーロッパにおけるキリスト教文化の保存と普及に大きな役割を果たしました。
ポップカルチャーでの展開
日本の人気作品『黒執事』には、「フィニアン」(愛称:フィニ)というキャラクターが登場します。
ファントムハイヴ家で庭師として働く彼は、常識外れの怪力を持つという設定で描かれています。
おわりに:時空を超える「フィニアン」
古代ケルトの戦士からカトリック教会の聖人、19世紀の革命家、そして現代のフィクションまで――「フィニアン」という言葉は、アイルランドのアイデンティティそのものと言えるでしょう。
神話と歴史、理想と現実が複雑に絡み合うこの概念は、今なお多くの人々を魅了し続けています。

原作で話題のとおり、よい名前ですね。





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