ヴィクトリア朝における「女医」という異物
19世紀イギリス社会において、女性が医師になるという発想は、長らく想像すらされてこなかった。
ヴィクトリア朝(1837–1901年)の理想的女性像は「家庭の天使(Angel in the House)」であり、女性は家庭と道徳の守護者であるべきとされた。
学問、とりわけ医学のような「血」「死体」「解剖」を扱う分野は、女性の慎みと真逆に位置するものと見なされていた。
外科医や解剖学者は「不潔で、下品で、病的な職業」とされ、
良家の娘が医学を志すことは社会的スキャンダルに等しかった。
実際、19世紀初頭のロンドンでは、解剖施設の存在そのものが近隣住民の抗議対象となっている。
外科は女性にとって、あまりにも過酷で、危険で、下品な仕事だった。
― Royal College of Surgeons資料より
世界初の女性医師は、1849年にアメリカで医学位を取得したエリザベス・ブラックウェルである。
一方、イギリス国内の制度を突破し、1865年に医師として実際に開業可能となった最初の女性が、エリザベス・ギャレット・アンダーソンであった。
エリザベス・ブラックウェルは「医師」か?
YES(ただしアメリカで)
- エリザベス・ブラックウェル(Elizabeth Blackwell, 1821-1910)
イギリス西部の港湾都市ブリストルに生まれる - 1849年
アメリカ・ジュネーヴ医科大学で医学博士号(MD)を取得 - これは近代医学教育を受けた、世界初の女性医師
と国際的に認められています。
しかし重要な点
- 当時のイギリスでは
外国医学位だけでは原則として医師登録できなかった -
ブラックウェルは1859年に
例外的措置で Medical Register に登録されます
(※ここが「英国初」と誤解されがちなポイント)
彼女は「女性医師という概念そのものを世界に示した存在」であり、
イギリスの制度を突破した最初の人物ではありません。
Medical Registerはイギリスの医師名簿なのか
Medical Register(医師名簿)は、イギリスの公式な医師登録簿です。
ここに名前が載ることは、
イギリスで合法的に「医師(medical practitioner)」として認められること
を意味します。
これは1876年の医療法(Medical Act)以前も以後も、一貫しています。
エリザベス・ブラックウェルの経緯
- 1849年:米国でMD取得(世界初の女性医師)
- 1858年:Medical Act制定
-
1859年:Medical Registerに登録
ここで重要なのは、次の点です。
ブラックウェルは、
- 英国の教育制度を突破して資格を得たわけではない
- 外国医学位保持者として
特例的・経過措置的に登録された
つまり:
- Medical Registerに載った → 英国で医師と認められた(事実)
- だがそれは
英国制度が女性に門戸を開いた結果ではない
最初の突破口 ― エリザベス・ギャレット・アンダーソン
この閉ざされた状況を最初にこじ開けたのが、
エリザベス・ギャレット・アンダーソン(Elizabeth Garrett Anderson, 1836–1917)である。
ギャレットはロンドンのホワイトチャペルの裕福な商人の家に生まれました。
彼女は正規の医学部入学をすべて拒否された末、
1865年、薬剤師会(Society of Apothecaries)の試験制度の抜け穴を利用し、医師資格を取得した。
これはイギリス史上初めて女性が実質的な医師資格を得た瞬間だった。
だがこの「成功」は例外として扱われ、
制度はすぐに改正され、女性は再び締め出される。
女医は「前例」にはなれたが、「制度」にはなれなかったのである。
なぜ「薬剤師資格」と誤解されるのか
理由は3つあります。
- 現代の薬剤師(pharmacist)と名称が違う
- 日本語Wikipediaなどで
「薬剤師資格」と簡略化されがち -
医学部卒業(MD)ではないため
「正式でない」と誤解されやすい
しかし当時の英国では、
-
医師資格は
- 大学医学位(MD)
- 王立医学院系資格
-
LSA
という複線構造でした。
LSAはその一角を成す、完全に合法な医師資格です。
エリザベス・ギャレット・アンダーソンの場合
-
1865年:
Society of Apothecaries の LSA(Licentiate)取得
この資格は当時、
- 診療
- 処方
- 開業
を合法的に行える
その結果、
英国の通常の資格ルートで Medical Register に登録された最初の女性
になります。
| 項目 | ブラックウェル | ギャレット |
|---|---|---|
| Medical Register 登録 | ✔(1859) | ✔(1865) |
| 登録根拠 | 米国MD・特例 | 英国LSA |
| 英国制度内資格 | ✖ | ✔ |
| 英国初の制度内女医 | ✖ | ✔ |
Medical Registerは確かにイギリスの医師名簿である。
そのうえで、
最初に登録された女性はエリザベス・ブラックウェル(1859年)だが、
医学史では、
「英国で初めて制度的に医師として登録された女性」
= エリザベス・ギャレット・アンダーソン(1865年)
と位置づけられます。
Medical Registerは確かにイギリスの医師名簿である。
そのうえで、
最初に登録された女性はエリザベス・ブラックウェル(1859年)だが、
英国の資格制度を通じて登録された最初の女性は、
エリザベス・ギャレット・アンダーソン(1865年)である。
この書き分けが、研究者・博物館・医学史の標準的整理です。
ギャレット、医師の資格を得る
正確な流れは以下の通りです。
1865年
ギャレット・アンダーソン、
Society of Apothecaries の LSA 試験に合格
同年
Medical Act に基づき
Medical Register に登録
1866年
ロンドンで診療所を開設
(※これは登録なしでは不可能)
彼女が開業できた事実そのものが、
Medical Register 登録を強く裏付けています。
パリ大学(ソルボンヌ)での学位取得について
- 1870年
エリザベス・ギャレット・アンダーソンは
パリ大学医学部(当時はパリ医学部)で医学博士号(MD相当)を取得 -
イギリスでは女性が正規医学教育を受けられなかったため、海外で学位を取得した
しかし、この時「イギリス人女性として初めて医師の正式な資格を得た」というのは不正確で、
ここが最大の注意点です。
なぜか?
- 彼女はすでに1865年にLSA(薬剤師会免許)を取得
-
この資格により
英国で合法的に診療・開業できる医師資格をすでに得ていました
つまり:
- 1870年のソルボンヌ学位は
「初めて資格を得た」のではなく -
「国際的に通用する正規の医学博士号を補強的に取得した」
という位置づけになります。
よって、「初めて正式な資格を得た」という表現は史実と合いません。
BMA(英国医師会)入会との関係
事実関係
- 1873年
ギャレット・アンダーソンは
BMAに入会を認められた最初の女性 -
ただし、これは
LSA資格によってすでに医師として活動していた結果です
重要な点
- BMA入会は、ソルボンヌ学位「だけ」が理由ではない
-
彼女はすでに
- Medical Register 登録
-
英国内での診療実績
を持っていました
正確な因果関係の整理
時系列で書くと、史実はこうなります:
- 1865年
LSA取得 → 英国で医師として合法的に開業 - 1870年
パリ大学で医学博士号取得(学術的正統性の補強) - 1873年
BMA初の女性会員として入会 -
1874年以降
女子医学校(LSMW)の設立・運営に深く関与
つまり
BMA入会や女子医学校設立の「土台」は1865年にすでに築かれていた
というのが正確です。
エリザベス・ギャレット・アンダーソンは、1865年に英国薬剤師会の資格(LSA)を取得し、イギリスで合法的に医師として診療を行うことが可能となった。
その後1870年、パリ大学医学部で医学博士号を取得し、国際的にも正規の医学教育を受けた医師としての地位を確立した。
彼女は1873年、英国医師会(BMA)への入会を認められた最初の女性となり、さらにロンドン女子医学校の設立と発展に深く関与した、英国女性医学史の先駆者である。
なぜブラックウェルはBMAを「持っていない」のか
BMA(British Medical Association)とは
-
イギリス国内の医師による職能団体
-
原則として
英国の医療制度内で活動する医師
Medical Registerに基づく実務医
を主な対象としていました。
ブラックウェルの立場は「例外的」
エリザベス・ブラックウェルは:
- 1849年:米国で医学位(MD)取得
- 1859年:Medical Registerに登録(※特例的・経過措置)
- 主な活動拠点:アメリカ
-
英国では
- 教育的・象徴的役割
-
講演・思想的影響
が中心
英国の医療職能団体に属する立場ではなかったのです。
「登録された医師」と
「医師社会に属した医師」
は同じではない
エリザベス・ブラックウェルはMedical Registerには登録されたものの、英国医師会(BMA)の会員ではなく、英国医師社会においては象徴的存在にとどまりました。
一方、エリザベス・ギャレット・アンダーソンは、1873年にBMAへの入会を認められた最初の女性となり、制度内の医師として正式に位置づけられました。
女医たちの連帯と、ロンドン女子医学校の誕生
1870年代、状況はようやく動き出す。
中心となったのは ソフィア・ジェクス=ブレイク と
エリザベス・ギャレット・アンダーソンである。
彼女たちは、女性が正規に医学を学べる教育機関の必要性を訴え続け、
1874年、ロンドン女子医学校(London School of Medicine for Women)が設立された。
ここで重要なのは、
世界初の女性医師 エリザベス・ブラックウェル が
この学校の思想的支援者・助言者として関与していた点である。
彼女は象徴的存在ではあったが、運営の主導者ではなかった。
この学校の設立により、
女性は初めて「正規ルート」で医師資格を目指せるようになりました。

女医の革命はまだまだ続きます。
次回もお楽しみに。





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