ドルイットの解雇と自殺──1888年11月、テムズ川で何が起きたのか

ドルイットの解雇と自殺──1888年11月、テムズ川で何が起きたのか 話題
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Ⅱ 解雇・失踪・テムズ川編
1888年11月、ドルイットに何が起きたのか

最もドラマ性が高い事件編。

モンタギュー・ジョン・ドルイットが切り裂きジャック説と結びつけられる最大の理由は、1888年末に起きた一連の出来事にあります。

第2回では、彼が学校を突然解雇されてから、テムズ川で遺体となって発見されるまでの経緯をたどります。

ここで重要なのは、当時確認された事実と、後世に付け加えられた解釈を分けて見ることです。

 

突然の解雇

1888年11月30日頃、ドルイットはブラックヒースの学校を解雇されました。

その理由について、ドルイットの死後に開かれた検死審問では「重大な問題(serious trouble)」という表現以上の説明が示されていません。
何が起きたのかを直接語る記録は残っていないのです。

このとき、法廷弁護士としての仕事にも支障が出ていたとされています。

理由がはっきりしないまま、ドルイットは職も、教師としての住まいも失うことになりました。

 

母親の入院という背景

家族の精神疾患の記録

ドルイットの解雇に先立つ1888年7月、母親のアン・ドルイットは精神的な不調により、施設に入院しています。

ドルイット家では、母方の家系にも精神的な病を抱えた人物がいたことが記録されており、家族はこうした問題と長く向き合ってきたと考えられます。

ドルイット自身がこの状況をどう受け止めていたのかは、次に見る一枚のメモから、ある程度うかがい知ることができます。

 

遺されたメモと死

兄ウィリアムの証言と、遺されたメモの内容

ドルイットの死後、兄のウィリアムが彼の部屋で一枚のメモを見つけています。

そこには、金曜日から自分が母のようになっていくのを感じていた、だから死ぬのが一番良いのだ、という趣旨のことが書かれていました。

死亡と遺体発見

ドルイットは、1888年12月初め頃に命を絶ったと考えられています。

その遺体が発見されたのは、同年12月31日。
テムズ川のチジック付近で、水中から引き上げられました。
長期間水に浸かっていた状態だったとされています。

検死審問(1889年1月)

翌年1月の検死審問では、心神喪失状態での入水自殺という評決が下されました。

 

同じ日に起きたもう一つの「除名」

興味深い偶然があります。

ドルイットが所属していたブラックヒース・クリケット・フットボール・アンド・ローンテニス・クラブの議事録には、1888年12月31日付で、名誉幹事兼会計を務めていたドルイットについて「国外へ去ったため、この役職から外す」という趣旨の記録が残されています。

つまり、遺体がテムズ川から引き上げられたのと同じ日に、彼はスポーツクラブの役職からも正式に外されていたことになります。

クラブ関係者が実際の事情をどこまで把握していたかは分かりませんが、少なくとも「国外へ去った」という説明が、実態を伏せた婉曲的な表現だったことは想像に難くありません。

 

事実と、後世の解釈を分ける

後世の研究者の提示した仮説

ドルイットの解雇理由や自殺の背景については、後世さまざまな説が提示されてきました。

同性愛が発覚したことによる解雇だったのではないか、という説もその一つです。

また、母方に見られる精神疾患の家系が、ドルイット自身にも影響していたのではないか、という説もあります。

研究者の中には、「重大な問題」という表現の重さから、単なる神経衰弱などでは説明がつかないとして、生徒との間に何らかの不適切な関係があったのではないかという、より踏み込んだ推測を示す者もいます。
ただし、これはあくまで特定の研究者による一つの解釈であり、それを直接裏付ける証言や記録が見つかっているわけではありません。

これらはいずれも、後世の研究者が状況から導き出した仮説であり、1888年当時に確認された事実そのものではないという点は、はっきり区別しておく必要があります。

 

1888年当時に確認された事実

ドルイットの解雇と自殺──1888年11月、テムズ川で何が起きたのか

当時の記録から確実に言えるのは、次の点だけです。

  • 11月末に「重大な問題」を理由として解雇されたこと(具体的な内容は不明)
  • 母親が同年7月に精神的な不調で入院していたこと
  • 12月初めに死亡し、31日に遺体が発見されたこと
  • 検死審問で自殺と判断されたこと

「なぜ解雇されたのか」「なぜ自殺に至ったのか」という問いに、当時の史料は明確な答えを与えてくれません。

この空白こそが、後世さまざまな物語を生む余地になったとも言えます。

そして、この死の時期が、ある人物の目に留まることになります。

次回は、1894年にロンドン警視庁の幹部メルヴィル・マクノートンが作成した覚書――ドルイットを「最有力容疑者」に押し上げることになった、その文書の中身を検証します。

※本記事は歴史上の事件・人物を扱ったものです。
もし今、心の不調やつらさを感じている場合は、一人で抱え込まず、周囲の人や専門機関に相談してみてください。

 

星灯

1888年の晩秋、ドルイットの人生にはいくつもの「空白」が生まれました。
解雇の理由も、自ら死を選んだ本当の理由も、今となってははっきりとは分かりません。

けれど、その空白があるからこそ、後世の人々はそこにさまざまな物語を重ねてきました。

そして、テムズ川に沈んだドルイットの死は、やがて「切り裂きジャック」という巨大な謎と結びついていきます。

次回は、その結びつきを決定的なものにした、マクノートン覚書を見ていきましょう。

 

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