モローの絵画が当時の文学に与えた影響――『さかしま(À rebours)』が生んだ「象徴主義」の黄金時代

モローの絵画が当時の文学に与えた影響――『さかしま(À rebours)』が生んだ「象徴主義」の黄金時代 トレンド
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モローの《サロメ》は文学を変えた?
『さかしま』とデカダンス芸術

十九世紀後半のフランスでは、絵画と文学が互いに影響し合うという、それまでになかった芸術運動が起こりました。

その中心にいた画家の一人がギュスターヴ・モロー(Gustave Moreau)です。

モローの幻想的で神秘的な絵画は、美術館だけで評価されたわけではありません。

むしろ彼を「象徴主義最大の画家」と決定づけたのは、一冊の小説でした。

それが1884年に出版された、J・K・ユイスマンス『さかしま(À rebours)』です。

実は、この小説がなければ、現在私たちが知る「モロー像」は存在しなかったかもしれません。

ギュスターヴ・モロー(19Cフランスの象徴主義の画家)
  • 『刺青のサロメ』1874年
    Salomé dansant / Salomé tatouée  (non daté) 
  • 『ヘロデ王の前で踊るサロメ』1874~76年
    Salomé dansant devant Hérode
  • 『出現』1876年
    L’apparition

 

モロー以前の文学と美術

十九世紀前半までの文学では、

  • 物語を語る
  • 現実を描写する
  • 社会を観察する

ことが重要視されていました。

一方、美術も歴史画や宗教画など、「何が描かれているか」が評価基準でした。

しかし十九世紀末になると、「芸術は現実を写すものではなく、心の奥を映すものではないか」という考え方が広がります。

これが象徴主義(Symbolism)です。

そして、その象徴主義を最も早く視覚化していた画家がモローでした。

 

『さかしま』とはどんな小説なのか

『さかしま』は普通の小説ではありません。

主人公デ・ゼッサントは、現実世界を嫌い、芸術だけに囲まれて暮らす貴族です。

彼は、宝石・香水・ラテン文学・音楽・絵画について延々と語ります。

つまり、「芸術を味わうこと」自体が物語なのです。

この作品は後にデカダンス文学・唯美主義・象徴主義の聖典となりました。

 

小説の中で異例の長さで語られるモロー

『さかしま』には、主人公が所有する二枚のモロー作品が登場します。

  • 《サロメ》
  • 《出現(L’Apparition)》

驚くべきことに、この場面では物語がほぼ停止し、数ページにわたって絵画だけが描写されます。

つまり、小説の中に「美術評論」が組み込まれているのです。

これは当時としては極めて革新的でした。

 

ユイスマンスは絵を「再創造」した

興味深いのは、ユイスマンスが絵を説明しているだけではないことです。

彼はモローのサロメを見て、次のような新しい人物像を生み出しました。

  • 永遠の誘惑者
  • 宿命の女(ファム・ファタール)
  • 官能そのもの
  • 神秘的存在
  • 人類を破滅へ導く美

聖書にはここまでの描写はありません。

つまり、モローの絵を、小説がさらに神話化したのです。

 

サロメ神話はここから爆発的に広がる

この『さかしま』の成功によって、「サロメ」という人物は文学界で一気に人気となります。

その影響は非常に大きく、後の作家たちへ連鎖していきました。

たとえば、

  • ステファヌ・マラルメ
    フランスの詩人, 19C
    着想は1864年頃からで、生涯未完のまま断片(「序曲」「舞台」「聖ヨハネの首の賛歌」等)として残された。

    母エロディアード(ヘロデヤ)と娘サロメを重ね合わせた——というより、マラルメは実質的に両者を一人の人物「エロディアード」に融合させ、聖書のサロメとは切り離した「氷のように冷たい女性・拒絶する女」として造形した、という点が特徴です。
    踊りも斬首も描かれず、鏡の前で自らの美に恍惚とする独白劇に近い構成になっています。
    フロベール『ヘロディアス』(1877年、三つの物語の一編, 19C仏の小説家)は時期的にはマラルメの構想開始より後ですが、両者は直接の影響関係というより、同時代の「サロメ=ファム・ファタール」熱の並行現象として語られることが多いです。
    ユイスマンス『さかさま』(1884年, フランスの19世紀末の作家)はデ・ゼッサントがモローのサロメ絵画に耽溺する場面で有名で、こちらは絵画(モロー)経由の系譜が強調されがちです。
  • オスカー・ワイルド
    英の詩人・作家, 19-20C
    『サロメ』(Salomé)1891年
  • マルセル・プルースト
    フランスの小説家, 19-20C
    『失われた時を求めて』

    À la recherche du temps perdu
    1922年の没時まで執筆
  • アンドレ・ブルトン
    フランスの詩人、文学者、シュルレアリスト, 19-20C
    シュルレアリスムの創始者である詩人アンドレ・ブルトン(André Breton)は、16歳(1912年頃)にモロー美術館を訪れて衝撃を受けたという逸話は、シュルレアリスム研究でもよく引用されるもので、彼はのちにモローを「幻視者」として高く評価し、生涯にわたり敬意を示し続けました。

など、多くの文学者がモローやそのサロメ像に関心を寄せました。
特にワイルドの戯曲『サロメ』は、モローの視覚表現から強い刺激を受けたと考えられています。

つまり、

モロー → ユイスマンス → ワイルド

という芸術の系譜が生まれました。

 

文学が絵画を有名にした珍しい例

通常は、画家が美術界で高い評価を確立した後、その作品が文学で引用されます。
例えば、レオナルド・ダ・ヴィンチやレンブラントのように、まず美術界で名声を確立した画家が文学で扱われるケースが一般的です。

ところがモローの場合は逆でした。
モローは1860~70年代にはすでにサロンで評価されていましたが、決して誰もが知る大スターではありませんでした。

『さかしま』のベストセラー化によって、象徴主義やデカダンス文学の読者層へ広く知られるようになりました。
実際にモロー自身も、この小説によって象徴主義の代表画家として広く認識されるようになりました。

これは美術史でも珍しい現象です。

1884年にユイスマンスが『さかしま』で、

  • 《出現(L’Apparition)》
  • 《サロメ》

を数ページにわたって熱烈に描写し、主人公デ・ゼッサントが「理想の芸術」として絶賛したことで、文学青年や芸術家たちの間に「そのモローという画家は誰だ?」という関心が一気に広がりました。

厳密には、絵画が無名で、小説だけで有名になったという意味ではなく、通常は「美術史が画家を有名にする」のに対し、モローは文学史が彼の評価を押し上げ、美術史での位置づけを強固にしたという点が珍しいのです。

つまり、文学が画家の評価を拡張し、その芸術的イメージを決定づけたという点で、美術史の中でも特に興味深い例です。

「モローが文学に与えた影響」と同時に、「文学がモローを広めた影響」という双方向の関係があります。

つまり、小説がモローの名声を象徴主義・デカダンスの世界へ広める役割を果たしたのです。

 

象徴主義文学の誕生

『さかしま』以降、文学は写実から離れ始めます。

重要になったのは、
象徴・暗示・神秘・夢・無意識・神話
でした。

これは、モローの絵画が持つ特徴とほぼ一致しています。

つまり、文学はモローの絵画から「見る芸術」ではなく「感じる芸術」を学んだとも言えるでしょう。

 

モローが文学へ与えた五つの影響

絵画が小説の主人公になった

美術作品そのものが物語の中心となりました。

 

ファム・ファタール像を完成させた

後の文学・演劇・オペラへ大きく影響しました。

 

象徴主義文学を加速させた

現実ではなく精神世界を描く文学が広がります。

 

芸術同士の境界を壊した

絵画・詩・音楽・文学が相互に引用し合う文化が形成されました。

 

「作品を見る」という行為自体を文学化した

鑑賞体験そのものが文学表現となり、美術批評と小説の境界が曖昧になりました。

 

まとめ

ギュスターヴ・モローは、単なる象徴主義の画家ではありません。

彼の絵画は、ユイスマンスの『さかしま』という文学作品を通じて新たな命を得て、十九世紀末ヨーロッパの文学そのものを変えていきました。

モローのサロメは、聖書の登場人物という枠を超え、「宿命の女」「美と破滅の象徴」という新しい神話へと姿を変えます。
そして、その神話はワイルドをはじめとする多くの作家へ受け継がれ、象徴主義とデカダンス文学を代表するイメージとして定着しました。

絵画が文学を刺激し、文学が絵画の意味をさらに拡張する――その相互作用こそが、十九世紀末芸術の最大の特徴でした。

 

星灯の一言

一枚の絵は、静かに壁へ掛けられているだけではありません。

それを見た誰かが言葉を描き、その言葉がまた新たな芸術を生み出します。

モローの《サロメ》は、絵画であると同時に、小説となり、詩となり、舞台となって、人々の想像力の中で生き続けています。

 

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