なぜドルイット説は残ったのか──「外科医の息子」という物語の強さ

なぜドルイット説は残ったのか──「外科医の息子」という物語の強さ 話題
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Ⅴ「外科医の息子」という物語編
なぜドルイット説は残り続けたのか

像を結ばないドルイット ── 実像と物語の距離

シリーズ最終回です。
ここまで、ドルイットの経歴、死の経緯、マクノートン覚書、そして当時の行動記録を見てきました。

第5回では、なぜこれほど不確かな根拠しかない人物が、130年以上にわたって「有力容疑者」として語られ続けてきたのか、その物語の構造そのものを考えます。

「外科医の息子」という発言

西ドーセット選出の国会議員(ヘンリー・ファーカーソンとされる)の発言

1891年、ある国会議員が、議会の外で興味深い発言をしています。

切り裂きジャックの正体は「外科医の息子」であり、最後の殺人を犯した後、自殺したのだ、という内容でした。

この発言をした人物は、ドルイット家の暮らすドーセット地方選出の議員だったとされています。
ドルイットの父ウィリアムは、実際にこの地域で開業する外科医でした。

  • ドルイットの父は1885年9月に心臓発作で急死

当時、この発言でドルイットの名前が直接挙げられたわけではありません。

ドルイット本人は医師ではありませんでした。
しかし、父親ウィリアム・ドルイットは外科医でした。

そのため後世には、「外科医の家庭で育ったドルイットなら、人体についての知識を持っていたのではないか」という見方も生まれています。

ただし、

「外科医の息子だった」ことと、
「殺人に必要な解剖学的技術を持っていた」ことは別問題です。

ドルイットには医療や解剖の専門知識があったという記録はなく、遺体の激しい切断を行う技術があったかには疑問が残されています。

また、彼を直接犯行に結びつける決定的な物証は一切見つかっていません。

しかし後世、この「外科医の息子」というキーワードは、ドルイット説を補強する材料として繰り返し引用されることになります。

「外科医の息子」「自殺」「最後の事件直後」という要素が後世に結びつけられ、かなり強い物語になっている一方、実際の証拠はそこまで単純ではありません。

したがって、ここも「医学的知識があった犯人」という物語に簡単に組み込むべきではないでしょう。

 

覚書は、どうやって世に知られたのか

ここで、マクノートン覚書そのものが、どのようにして世間に知られるようになったのかを見ておく必要があります。

覚書は1894年に書かれた、あくまで警察内部の文書でした。
一般に公開されることを前提とした資料ではありません。

商業テレビ放送で世に知られる
― the Aberconway version ―

この文書が日の目を見たのは、1959年のことです。

イギリスの放送作家ダン・ファーソン(Daniel James Negley Farson)が、マクノートンの娘であるアバコンウェイ夫人のもとを訪れ、父の遺した私的な書類の中からこの覚書を発見しました。

同年11月、ファーソンはテレビ番組の中でこの容疑者に触れましたが、この時点で明かされたのは「M・J・D」というイニシャルのみでした。

実名が公表される

フルネームが公表されたのは、それから6年後の1965年です。

作家トム・カレンが著書の中で、このイニシャルの人物が「モンタギュー・ジョン・ドルイット」であることを明らかにしました。

全文が公開
― the Scotland Yard version ―

さらに1975年には、歴史家ドナルド・ランブロウが、ロンドン警視庁の公文書として保管されていた、もう一つの覚書のコピー(アバコンウェイ夫人が保管していたものとは細部の異なる公式版)の存在を明らかにしています。

つまりドルイットという名前は、1888年の事件発生から長い間、一般には知られていませんでした。

その間、覚書は個人の書類の中で眠り続けていました。

 

物語を形づくった要素

これらの経緯を踏まえると、ドルイット説がなぜここまで語り継がれてきたのか、いくつかの要素が見えてきます。

 

社会的背景

オックスフォードで学んだ法廷弁護士であり、教師でもあった、という経歴。

 

最後の事件との時間的な一致

メアリー・ジェーン・ケリー殺害の後、ドルイットが失踪・死亡したという事実。

 

自殺

犯人が事件終了後に自らの命を絶ったのではないか、という推測と結びついたこと。

 

マクノートン覚書

1894年、警察幹部マクノートンが、この人物を容疑者として記録に残していたこと。

 

「外科医の息子」という符合

議会の内外で語られた噂と、ドルイットの実際の家庭背景が、後から結びつけられたこと。

これらの要素が、1959年から1965年にかけて次々と明らかになり、一つに結びつくことで、

「最後の殺人を終えた犯人が、その直後に自殺した」

という、非常に完成度の高い物語が成立しました。

しかし、その物語を支える一つ一つの材料を調べていくと、そこには不確かな部分が残っています。

 

物語の強さと、証拠の弱さ

ドルイット説における最大の問題は、直接的な証拠がないことです。

このシリーズでここまで確認してきた通り、この物語を支える一つ一つの材料には、それぞれ弱さがあります。

マクノートンの記述には、年齢・職業という基本的な事実の誤りがありました(第3回)。

ドルイットの行動記録をたどると、事件当日にも普段通りの生活を送っていたことがわかりました(第4回)。

そしてマクノートンの覚書自体、犯人を特定するためではなく、別の容疑者説を否定するために書かれた文書でした(第3回)。

殺人現場からドルイット本人を直接結びつける決定的な物証はありません。

犯行を目撃したという確実な証言もありません。

さらに、事件期間中のドルイットのクリケット活動は、少なくとも一部の事件について彼の行動を検討する材料になります。

「外科医の息子」という要素にしても、父が外科医だったことと、ドルイット本人が遺体を損壊する技術を持っていたことは、まったく別の問題です。

ドルイット本人に解剖学的な専門知識があったことを示す資料は見つかっていません。

物語の完成度と史料の裏付けは別物

つまりドルイット説は、

「怪しい状況がいくつも重なっている」

という説ではあっても、

「犯人だったことが証明されている」

という説ではありません。

物語としての完成度の高さと、それを裏付ける証拠の確かさは、必ずしも一致しません。

 

「最有力容疑者」という言葉に、あらためて

ドルイットを紹介するとき、よく「切り裂きジャックの最有力容疑者」と表現されます。

しかし、この言葉には少し注意が必要です。

マクノートンの覚書は、ドルイットを含む3人を容疑者として挙げています。
その一方で、マクノートン自身の記述には事実関係の誤りがあります。
また、彼は1888年の事件当時の捜査担当者ではありません。

このシリーズを通して繰り返し確認してきたのは、次の一点です。

「警察の内部資料で有力な容疑者として名前が挙げられた」ことと、
「犯人だったと証明されている」ことは、まったく別の話だということです。

ドルイットは「警察が犯人と確認した人物」ではありません。

あくまで、後に警察幹部が作成した覚書の中で重要な容疑者として名前を挙げられた人物なのです。

 

それでも興味深いドルイットという人物

ドルイットの面白さは、単純な「犯人候補」というところだけにはありません。

そして、社会的には決して「犯罪者らしい人物」として知られていたわけではありません。

ドルイットは、法律家であり、教師であり、スポーツマンだった。

ところが1888年末、仕事を失い、ほどなくして自ら命を絶ちます。

その直後に、ホワイトチャペルで連続していた殺人も終わったように見える。

この偶然が、後世の人々に一つの物語を想像させました。

「彼こそが切り裂きジャックだったのではないか」と。

歴史研究で大切なのは、物語の美しさではなく、その物語をどこまで史料が支えているのかということです。

ドルイットの場合、そこには明確な境界線があります。

 

まとめ――ドルイットは犯人だったのか?

モンタギュー・ジョン・ドルイットは、切り裂きジャック事件において非常に有名な容疑者の一人です。

その理由は、

  • 1888年末に突然職を失ったこと
  • ほどなくして自ら命を絶ち
  • 最後のカノニカル・ファイブの殺人と死亡時期が近いこと
  • 父親が外科医だったこと
  • 1894年のマクノートン覚書に名前が登場すること
  • 家庭の背景が、後世の噂と結びつけられた

などにあります。

しかし一方で、

  • マクノートンが年齢と職業を誤記している
  • 1888年当時の直接の捜査担当者ではない
  • ドルイット本人を犯行現場につなぐ決定的な証拠がない
  • 事件当時の行動には検討すべき記録が存在する

という問題もあります。

そして何より、切り裂きジャックの正体そのものが現在まで確定していません。

だからこそドルイットは、「犯人と証明された男」ではなく、「状況証拠によって、後世まで疑われ続けている男」として見る必要があります。

 

おわりに

なぜこの物語は強いのか──「事件が終わった理由」を説明してくれるから
疑われた理由と、断定できない理由。その両方を見ることの意味

切り裂きジャック事件の謎は、犯人候補の名前を並べるだけでは見えてきません。

なぜその人物が疑われたのか。
そして、なぜその人物を犯人と断定できないのか。

その両方を同時に見ることで、ようやく一人の容疑者の輪郭が見えてきます。

モンタギュー・ジョン・ドルイットという人物をめぐる130年以上の物語は、史料と伝聞、事実と推測が幾重にも重なり合ってできています。

この5回のシリーズが、その重なりを少しでも解きほぐす手がかりになれば幸いです。

 

星灯の一言✭📜

一人の男の人生をたどってきました。

法律を学び、教壇に立ち、クリケットの試合に出場していた青年。
その同じ人物が、警察の覚書の中では「最有力容疑者」として記録されています。

紙の中に眠っていた名前が、世に出た瞬間に一つの物語になった。
記録と、記憶と、噂が重なり合ってできた物語です。

事実だけを見れば、そこにあるのは「疑わしいが、証明されていない」という、すっきりしない結論かもしれません。

けれど、その結論に至るまでの道筋をたどることこそ、この事件を考える意味なのだと思います。

長いシリーズにお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

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