アイルランド神話に描かれたサウィン
サウィンの特徴としてよく知られるのが、人間の世界と異界との境界が曖昧になる夜という考え方です。
今回は、なぜ季節の境界が異界と結びついたのかを考え、その代表的な物語である『ネラの冒険』を紹介します。
なぜ季節の境界が異界と結びついたのか
アイルランドの伝承では、人間の暮らす世界とは別に、妖精や超自然的な存在が住む異界が語られてきました。
その異界は、必ずしも死者だけが住む場所ではありません。
地下の丘、古い墳丘、湖の底、海の彼方などに存在すると考えられ、人間の世界と隣り合いながら、通常は容易に行き来できない場所として描かれます。
ところが、サウィンの時期には、その隔たりが弱まると伝えられました。
異界の住人が人間の前に姿を現したり、人間が異界へ入り込んだりする物語が残されています。
ここで重要なのは、サウィンが単に「幽霊の出る夜」だったわけではないという点です。
死者、妖精、神話的存在など、日常の秩序から外れたものが人間の世界へ近づく、特別な時間として理解されていました。
『ネラの冒険』とは
サウィンと異界の結びつきは、アイルランドの中世文学にも見られます。
代表的な作品の一つが『ネラの冒険』(Echtra Nerai/古:Nera)です。
アルスター伝説群の周辺に位置づけられる物語で、サウィンの夜を舞台にしています。
あらすじ
物語の舞台は、コナハトの王アリルと女王メーヴの宮廷です。
サウィンの夜、宮廷では罪人が絞首刑にされており、勇気のある者には褒美が約束されます。
その条件は、絞首刑にされた死者の足に、小枝の輪(ウィザ)を結びつけてくることでした。
この挑戦を引き受けたのが、戦士ネラです。
死者の足に小枝を結ぶと、死者は「喉が渇いた」と訴えます。
ネラは死者を背負い、水を求めて家々を巡ることになります。
その後、宮廷に戻ったネラは、宮廷が焼かれ、人々が殺される光景を目にします。
そして、その一団が異界へ通じる丘へ消えていくのを追い、自らも異界に足を踏み入れました。
異界でネラは妻を得て暮らしますが、あの焼かれる宮廷の光景が、次のサウィンに起こる出来事の予兆だと知ります。
ネラは現世へ戻り、王たちに警告します。
物語の結末では、コナハトの人々が異界の丘を襲い、ネラは異界にとどまったと語られます。
クルアハンという場所
Cnoc Cruachan:
the Cave of Cruachan
- Cnoc(クロッハ):
「丘」という意味の名詞です。
物語に登場する異界の入口は、コナハトの王都とされるクルアハン(Cruachan)の丘にあります。
クルアハンは、アイルランドのほぼ中央に位置するロスコモン県(County Roscommon)に実在する遺跡群の名で、神話ではコナハト王の都として語られます。
近くの洞窟オウェインアガット(猫の洞窟 Oweynagat ‘Cave of the Cats’)は、後世の伝承で「アイルランドの地獄の門」とも呼ばれてきました。
天然の泥岩洞窟です。
ケルト語(アイルランド・ゲール語)において、Owey(オーウェイ, Irish: Uaigh)は「洞窟(Cave)」を意味します。
ただし、この呼び名は後世の民俗的な説明であり、物語そのものが同じ意味で語っているとは限りません。
Cruachan
現在の遺跡名:ラスクロハン
(Rathcroghan, Cruachan Aí)
※遺跡の観光や歴史を深く知るには、ロスコモン県のタルスク村にあるラスクロハン・ビジターセンター(Rathcroghan Visitor Centre)が拠点となります。
この物語が示すもの
戦士ネラは、絞首刑にされた死者のもとへ向かい、その後、異界に関わる奇妙な体験をすることになります。
物語には、死者が動き出すような不気味な場面や、人間の世界とは異なる時間の流れが描かれています。
この作品は、サウィンが異界との接触を語るための重要な舞台であったことを示しています。
死者との出会い、異界への入口、未来を告げる光景。
サウィンの夜には、日常の時間の外側にあるものが姿を見せるという感覚が、物語の形で表れています。
ただし、これは神話的な文学作品であり、古代の祭礼がそのまま記録されているわけではありません。
実際の宗教儀礼と、後世に記された物語は区別して読む必要があります。
おわりに
『ネラの冒険』は、サウィンを「異界の開く夜」として描いた、最も古い部類の物語の一つです。
次回は、サウィンにまつわる習俗である篝火、仮装、そして死者との関係を、史料の確かさに注意しながら見ていきます。
参考資料
Echtra Nerai(『ネラの冒険』)――サウィンの夜と異界を扱う中世アイルランド文学
James MacKillop, A Dictionary of Celtic Mythology, Oxford University Press, 1998.
※古代の祭礼については史料が限られるため、中世文学、後世の民俗伝承、近現代の解釈を区別して紹介しています。
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星灯✭
死者の足に結んだ小枝の輪は、
境界線のかたちをしていた。
扉はいつも、物語の中でひらく。


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