バーネット男爵 ― マダム・レッドの過去に立つ、もう一人の人物【黒執事】

バーネット男爵 ― マダム・レッドの過去に立つ、もう一人の人物【黒執事】 アニメブログ記事
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原作に刻まれた、短い邂逅

『黒執事』に登場するバーネット男爵(Baron Burnett)は、アンジェリーナ・ダレス ―後のマダム・レッド― の亡き夫として、原作漫画第3巻で初めて言及される。
アニメ第1期では第5話「その執事、邂逅」で、彼女の回想として描かれる人物だ。

物語上の出番はごく短い。
長身の貴族男性として描かれるが、その顔立ちは明確に判明しておらず、ファンの間では金髪の貴族なのか、ブルネット(brunette)の髪色なのか、今も推測が分かれている。

この「顔の見えなさ」こそが、バーネット男爵というキャラクターの輪郭を不思議なほど印象的にしている。

 

夜会の出会いと、義兄への想い

アンジェリーナとバーネット男爵が出会ったのは、ある夜会だったという。
マダム・レッドの回想によれば、彼女はその時すでに、義兄となるヴィンセント・ファントムハイヴへの憧れと恋心を抱いていたことを、バーネット男爵に告げていた。

それでも二人は結婚し、やがて子を授かる。
しかしその喜びは長く続かなかった。
妊娠中のアンジェリーナは馬車事故に遭い、夫と胎児を同時に失う。
彼女自身も大けがを負い、手術を受けることになった。

この事故は、マダム・レッドの心に深い闇を刻み、後の彼女の生き方そのものを変えていく出発点となる。

なお、結婚から事故までの時間、そして医師を志した経緯の詳細については原作では明言されていない。
馬車事故ののちに医師として長いキャリアを積み、やがて事件へと走っていくまでの空白の時間は、読者の想像に委ねられている部分でもある。

 

政略でも、無関心でもなかった距離感

ヴィンセントへの想いを抱えながらの結婚というと、単なる政略結婚に見えるかもしれない。
だがマダム・レッドは、知的で自立した女性として描かれている人物だ。
ヴィンセントから家族愛や勇気、ファッションセンスなど多くの影響を受けていたことは事実としても、それが彼女とバーネット男爵との関係の温度を、そのまま決めるわけではないだろう。

実際、彼女とバーネット男爵を描いたイラストでは、笑顔で寄り添う、お似合いの二人として表現されている。
義兄への憧れを心の内に留めたまま、それでもバーネット男爵という一人の男性と、対等な関係を築いていた時間があったのではないか ―そう考えてみたくなる。

 

「バーネット」という名前が持つ、もう一つの顔

ここで少し視点を変えてみたい。
「バーネット(Burnett / Barnett, etc.)」という名前は、英語圏では決して珍しいものではない。
スポーツ選手や企業の社長、会社名やブランド名、作家、聖職者、ロンドンやカナダの地名(Barnet)としても使われている、ごくありふれた姓だ。

しかし、ヴィクトリア朝ロンドンという時代設定を踏まえると、この名前にはもう一つ、避けて通れない響きがある。

ホワイトチャペル周辺では複数の殺人事件が起きていたが、そのうちの5件は手口や特徴に共通点が見られることから、切り裂きジャックの犯行として確定するための『正典(カノン)』として位置づけられ、『カノニカル・ファイブ(canonical five)』と呼ばれている。
1888年8月31日から11月9日の間に起きたこの5件において、ジョセフ・バーネット(Joseph Barnett)は容疑者の一人として名前が挙げられた人物である。

『黒執事』という作品が切り裂きジャック事件を一つの大きな軸として描いていることを考えれば、「バーネット」という名前の選択が、単なる偶然なのか、それとも作者からの密やかな符号なのか ―考えたくなってしまうのは、私だけではないはずだ。

彼は、最後の被害者であるメアリー・ジェーン・ケリーの恋人だった。
ケリーには「ブラック・メアリー」「ジンジャー」「フェア・エマ」「ダーク・メアリー」など複数のあだ名があった。
彼女は髪を頻繁に染めていたとされ、髪色については金髪から赤毛、黒髪まで証言が食い違っており、今も確定していない。
「ブラック・メアリー」というあだ名から黒髪だった可能性も否定できないが、一方で「ジンジャー(赤毛)」とも呼ばれており、どちらが本当かは断定できないというのが現状の研究です。
酔うと周囲に暴言を吐くこともあったため「ダーク・メアリー」と呼ばれた、という説明はよく知られているが、「ブラック・メアリー」の「ブラック」が何を指すのかは、実は曖昧なままだ。

ここで少し寄り道をしたい。
『黒執事』の英題は Black Butler である。
この “Black” は単なる色ではなく、「闇」「死」「裏社会」といった重層的なニュアンスを帯びた言葉だ。
「ブラック・メアリー」の “Black” もまた、髪色というより彼女の転落した生活や闇の側面を指していた可能性がある。
史実とフィクションが、「黒」というキーワードを介してひそかに響き合っている―そう読むのは、うがちすぎだろうか。

なお、メアリー・ジェーン・ケリーの素性そのものも、今なお謎のままだ。
ロンドンを拠点とする解剖外科医(anatomical surgeon)ウィン・ウェストン=デイヴィス(Wynne Weston-Davies, 19-20C)博士は2015年出版の著書『真実のメアリー・ケリー』(The Real Mary Kelly、Blink Publishing)の中で、ケリーの本名はエリザベス・ウェストン=デイヴィスであり、ウェールズ出身で、かつてロンドンデリー侯爵夫人の侍女を務めていた自身の大叔母にあたると主張している。
さらに切り裂きジャックの正体は彼女の夫であるジャーナリスト、フランシス・スパイクス・クレイグであり、妻がウェスト・エンドで売春婦として働いていることを知った夫が、自身の恥を隠すために他の4件の殺人を偽装工作として利用しながら最終的に妻を殺害したという大胆な説を展開している。
真偽は定かではないが、上流社会と最下層の貧民街の間を行き来したケリーの人生が、もしこの説の通りであれば、『黒執事』という作品が描く光と闇の落差と、どこか重なって見えてくる。

 

アバーラインが追った、もう一人の「バーネット」

ここで興味深いのは、『黒執事』にはもう一人、「アバーライン」という実在の人物に由来するキャラクター ―フレデリック・アバーライン警部― が登場していることだ。
史実においても、この二つの名前は実際に結びついている。

ケリーが殺害された後、捜査を指揮したフレデリック・アバーラインは、彼女の元交際相手であり同居人でもあったジョセフ・バーネットを、4時間にわたって尋問したと伝えられている。
衣服に血痕の付着がないかも調べられたが、最終的に彼は起訴されることなく釈放された。
アバーラインによる捜査は、結果としてバーネットの容疑を晴らす方向に働いたとされている。

つまり史実の世界では、「アバーライン」と「バーネット」は、容疑者と捜査官という形で既に一度向き合っていたのだ。

『黒執事』という作品がアバーライン兄弟を登場させ、同時にマダム・レッドの夫として「バーネット男爵」を配置していることを思うと、この符号は単なる偶然として片付けるには、あまりにも出来すぎているように思えてくる。

 

英語の男爵号の正しい順序を検証

男爵位は「Baron + 姓」の語順が正しいので、“Baron Burnett” が正しい表記です。

ちなみに英語の貴族称号は基本的にこの語順です。

  • Baron Burnett(バーネット男爵)
  • Count Dracula(ドラキュラ伯爵)
  • Earl Grey(グレイ伯爵)

逆に「Burnett, Baron」のようにカンマで区切る形式は、フォーマルな称号一覧や法的文書などで使われることがありますが、通常の文章では「Baron Burnett」が自然です。

 

ホワイトチャペルという街が生んだ闇

ヴィクトリア朝ロンドンのイーストエンドにあるホワイトチャペル教区は、移民や難民が流れ着く土地として人口が爆発的に増加し、貧民街は混沌を極めていた。
そうした環境の中で、凶悪事件が次々と起きてしまったのである。

バーネット男爵という、貴族でありながら顔の見えない人物と、ホワイトチャペルという闇の街で実際に起きた事件、そしてそこに絡む実在の捜査官アバーライン ―これらを並べてみると、『黒執事』という作品が、フィクションと史実の境界線をどれほど巧みに、そして危うく行き来しているのかが見えてくる。

マダム・レッドというキャラクターの悲劇は、夫と子を失った個人的な悲しみであると同時に、ヴィクトリア朝という時代そのものが抱えていた光と闇の縮図でもあったのかもしれない。

 

azuki
azuki

女性でしかも何もなく貧しいと、

本当に辛いです。

 

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